シャネルズの曲「ハリケーン」の「ハリケーンハリケーンハリケーーーン」3つ目は誰?
シャネルズの曲の中で好きなうちの1つに「ハリケーン」という曲があります。
まずシャネルズの説明から。
ラッツ&スター(RATS & STAR)は、日本の音楽バンド。かつてはシャネルズ(CHANELS、後にSHANELSに変更)のバンド名で活動していた。4人のボーカルが顔を黒く塗り、ドゥーワップを歌っていた。22年に亘り活動を休止しているが、正式な解散はしていない。
そして「ハリケーン」は4枚目のシングルです。
シャネルズ 1st 1980年2月25日 ランナウェイ 夢見るスィートホーム 1位 EP 2nd 1980年6月21日 トゥナイト ビッグ・シティ・キャット 3位 EP 3rd 1981年2月1日 街角トワイライト アゲイン 1位 EP 4th 1981年5月21日 ハリケーン 渚のウエディング・ベル 2位 EP
発売の内容はこんな感じ。
収録曲
1stシングルの「ランナウェイ」から続く作家陣ですね。
井上さんは
井上 大輔(いのうえ だいすけ、1941年9月13日 - 2000年5月30日)は、日本のミュージシャン、作曲家。本名及び旧芸名は井上 忠夫(いのうえ ただお)。
略歴の特記はこんなところでしょうか。
略歴
- 1963年、ジャズ喫茶で演奏中、ジャッキー吉川・大橋道二にスカウトされジャッキー吉川とブルー・コメッツに参加、リード・ヴォーカル、フルート、サックスを担当。作曲も行い、「青い瞳」「ブルー・シャトウ」などの曲を書いてヒットさせた。なお、ブルコメ参加時に寺内タケシの勧めでそれまでしていたメガネからコンタクトレンズに変えている。
- 1972年のメンバーチェンジ(実質的な解散)後、作曲家に転身。「学園天国」「ランナウェイ」など、数多くのヒット曲を放った。
- 1981年1月のジャッキー吉川とブルー・コメッツ再結成に参加した後に井上大輔に改名。ロカビリー時代に内田裕也がとっさに「井上ダイスケ」と誤って紹介したことから、仲間内では「ダイちゃん」と呼ばれていたのがもともとのきっかけ。
- 日大芸術学部の同級生で友人の富野喜幸(現・富野由悠季)の頼みで手掛けた劇場版『機動戦士ガンダム』シリーズの主題歌「哀・戦士」(第2作)、「めぐりあい」(第3作)や、コカ・コーラのCM曲「I FEEL COKE」などのソロ作品がヒットした。
本題に戻りまして、「ハリケーン」の「ハリケーンハリケーンハリケーーーン」3つ目は誰?というところ。
テレビ歌唱のカメラワークではヴォーカル陣が、
リーダー「ハリケーン」
田代 「ハリケーン」
久保木 「ハリケーーーン」
佐藤 「Everyday is ザ どしゃ降り~」
と映されていました。
が!
時代が過ぎて最近動画で再確認すると、
トップテナーの久保木よりも張りのある声、しかも2声で聴こえる。
リーダー「ハリケーン」G音
田代 「ハリケーン」B音
久保木 「ハリケーーーン」D音
??
3つ目の「ハリケーーーン」は上のG音だ。
動画をもう一度確認すると、桑野も「ハリケーーーン」と歌ってる。
よく聴けば桑野の声で上のG音だ。
つまりは、3つ目の「ハリケーーーン」は久保木だけのパートではなく、桑野も歌っている。
桑野 信義(くわの のぶよし、1957年4月4日[1] - )は、日本のお笑いタレント、ミュージシャン(トランペット奏者)。「ラッツ&スター」メンバー。東京都大田区出身[1][2]。ジャパン・ミュージックエンターテインメント(エキサイティング・トリガー)所属。愛称は桑マン(クワマン)。
とくにこの動画を観ると一目瞭然だし、コメント欄にはそれらの思い違いと指摘が記されている。
ちなみにドラムの新保もコーラスマイクについていて、Aメロのバックを担当していることがわかる。
念のためレコード音源を確認したところ、2つ目の田代パートは田代の声と断定できないがユニゾン。
3つ目のパートは前のパートの続きも混ざっているのか、桑野のパートと思しき声が乗っている。
このあたりは聴いた方の判断に委ねよう。
RATS&STAR ラッツ&スター(シャネルズ) 『ハリケーン』高音質
のちのゴスペラッツでも桑野のG音が確認できた。
結論:シャネルズの曲「ハリケーン」の「ハリケーンハリケーンハリケーーーン」
3つ目の「ハリケーーーン」は久保木だけのパートではなく、
久保木D音+桑野G音(上)の「ハリケーーーン」だ。
ウィキペディアの解説にはぜひこの件も追記してほしいところw